目次

1.はじめに

2.なぜ有機結晶か?

3.研究テーマ
 3.1 共役アセチレン誘導体の固相重合とポリマーの光学特性評価
 3.2 イオン性色素結晶の作製と光学特性評価
 3.3 ナノ結晶における反応
 3.4 その他


1.はじめに
 当研究室では,有機結晶に関わる研究を中心に行っています。機能高分子工学科なのに有機結晶の研究をやっていて何事かと思われるかも知れませんが,まずその点に関する考え方を述べます。
 ご存知のように,高分子はモノマー分子を重合して合成されます。すなわち,モノマー分子を何らかの反応で共有結合させてポリマーを得ます。元のモノマーとポリマーでは,性質が似ている部分もありますが,ポリマー化することで全く異なった性質も示します。一方,有機結晶は有機分子が 3次元的に規則正しく配列したものです。言い換えると有機分子同士がファンデルワールス力や水素結合,イオン結合といった共有結合に比べて弱い結合によってつなげられたものです。結晶中では分子間相互作用があるために,元の化合物とは性質が異なる部分も現れてきます。こう考えると,低分子が共有結合で結ばれたものを通常ポリマーといっていますが,結合の考え方を拡張すれば,低分子が共有結合以外の弱い結合力で結ばれたポリマーでかつ 3次元的周期構造を有しているものを結晶と言っていることになります。高分子と結晶は低分子を結びつける力は異なっていますが,低分子の集合体であるという点は共通であり,所望の分子集合体を作製するために,共通の考え方をそれぞれに応用することもできます。したがって結晶は,拡張された意味でポリマーということもできると思います。当研究室では、結晶からのポリマー合成を行っていますが、結晶そのものの研究も行っています。
 以下に有機結晶に関する背景や具体的な研究内容について述べます。

2.なぜ有機結晶か?
 結晶は,原子や分子等が3次元的な周期構造を持って配列している固体です。無機物質では,シリコンをはじめ結晶状態でデバイス等に用いられている例が数多くあります。一方有機化合物では,ポリマーは結晶領域を含んでいる場合はあるものの非晶質の領域を必ず含んでおり,また,表示デバイスで用いられている液晶は液体といった具合で,結晶自体が実用的に用いられている例はほとんどありません。ところで,材料として様々な物性を高い性能で発現するためには,まず分子の持つ性能が重要ですが,その分子の性能が打ち消しあうことなく最大限に発揮できるような分子配列を実現することも重要です。その観点から,分子をある決まった向きに固定できる結晶は,分子の性能を最大限に発揮させうる材料と言えます。
 では,有機結晶において何が問題なのでしょうか。まず第一には,結晶の中の分子配列を分子構造から確実に予想することがまだ不可能であるという点が挙げられます。既に簡単な分子やある制限の下での計算で分子配列の再現に成功している例はありますが,複雑な分子の計算は簡単ではありません。コンピューターの計算速度向上や計算手法の改良によってじきにこの問題は解決されるかもしれませんが,現状では作ってみないとわからないというのが本当のところです。しかしながら,闇雲にやっても適当な分子配列が得られる確率は低いでしょうから,経験的にこれまでに知れられている結晶構造等を参考にしつつ,適当な分子配列が実現できる確率が高そうな立体構造,置換基導入等により合成を進めるというのが現実的なアプローチです。もう一つの問題点は,有機結晶の作製技術が未熟であるという点です。シリコンでは直径20 cmを超える単結晶が日常的に作製されていますが,有機化合物では,X線構造解析が可能な数百μm角の結晶が得られるだけでも喜んでしまうのが現状です。もっともシリコンの方は1つの物質について全世界の研究者や技術者が改良に改良を重ねて長年に渡って確立された技術であるのに対して,置換基一つの違いで融点や溶解度が大きく変わる有機化合物では,その多様さが故に集中した結晶成長の検討がなされておらず,太刀打ちできないのは当たり前とも言えます。光デバイスを考えた場合,用いるレーザー光の口径の範囲(直径数mm以下)で波長レベルでの均一な構造が最低限必要であり,性能面で絞り込まれた化合物について,必要な大きさの結晶が容易にできるような細部の分子構造設計や結晶成長法の検討が望まれます。
 以上のように,有機結晶は分子の性能を最大限に発揮できるポテンシャルは有しているものの,現状ではそれを活かしきれていない状況です。そこで,その実用化を目指して研究を進めています。

3.研究テーマ
 当研究室では,結晶中でポリマーが生成する固相重合,イオン性色素の結晶中での分子配列,数十〜数百ナノメートルサイズの結晶における反応などを中心に研究を進めています。

3.1 共役アセチレン誘導体の固相重合とポリマーの光学特性評価
 ブタジイン誘導体が結晶中で適当な分子配列を取っていると,光や放射線,熱等の励起によって1,4-付加重合が進行し,共役高分子であるポリジアセチレンを与えます(1)。このような固相重合は、結晶格子中での重合であるために、重合時のモノマー分子の動きが制限されており、その結果非常に立体規則性の高いポリマーが得られます。化合物によりますが、理想的な場合にはモノマー単結晶からポリマー単結晶への転移が起こり、巨視的なポリマー単結晶を得ることも可能です。また、無溶媒反応であることから、環境にも優しい重合反応と言うこともできます。
 共役高分子は,そのπ共役主鎖に起因した興味深い光・電子特性を示します。ポリジアセチレンは共役高分子の中でも最初に3次非線形光学特性が評価されました。3次非線形光学特性を用いると光による光の高速スイッチングが可能となることから,高性能3次非線形光学材料の開発は,将来の光による超高速・大容量情報処理実現のための一つのアプローチとして重要です。当研究室では,非線形光学感受率の更なる向上や他の興味深い光・電子特性の発現を目的として,新規な主鎖−側鎖共役型ポリジアセチレンや主鎖同士が共役したラダー型のポリジアセチレンの合成を行い,得られたポリマーの光学特性について調べています。現在,側鎖として分子間相互作用による主鎖電子構造の制御が可能なピリジン環が直結したブタジイン誘導体の重合,アセチレンが3個以上共役したオリゴイン化合物の重合位置やラダー化に伴う吸収の変化などについての検討を行っています。


  

図1 ブタジイン誘導体の固相重合。dが約0.5 nm,φが約45°のときに固相重合が進行。

3.2 イオン性色素結晶の作製と光学特性評価
 2次非線形光学材料は,レーザーの波長変換や電場による変調のために重要であり,既に無機結晶が実用的に使われています。一方,有機化合物の2次非線形光学特性は,無機化合物を大きく上回ることが知られていますが,素子化への段階の障壁が高く,未だ本格的実用化はなされていません。有機結晶の中でも,電子供与基を置換したスチルバゾリウム誘導体は,第一分子超分極率(電場に対して2次の超分極率が大きく,イオン性結晶であることから高融点・高硬度であり,また,対アニオン交換によって,1つのカチオンから様々な分子配列の結晶を作り出すことができるという優れた特徴を持っています。一般に2次非線形光学材料は非中心対称構造でなければならず,そのための色素分子の配列制御が重要です。図2に示したイオン性色素結晶は,我々が世界に先駆けて見出した高性能2次非線形光学結晶で,差周波発生による広帯域・高出力のテラヘルツ波の発生が可能であることが実証されています。このカチオン部分のπ共役系を広げることによって分子超分極率は増加しますが,中心対称結晶構造を取り易くなったり,結晶作製が難しくなったりする傾向があるため,それらを克服しながらさらに特性が向上した結晶の合成を目指しています。

  

図2 イオン性色素の構造と結晶。写真の格子の一辺は1 mm。

3.3 ナノ結晶における反応
 ここで言うナノ結晶とはサイズが数十〜数百ナノメートルの単結晶のことです。有機化合物は粉末で得られることも多いですが,これらは,サイズは小さくともほとんどが結晶です。もし結晶を光の波長と比較して充分小さなサイズとすることができれば,大きな単結晶を作らなくとも,結晶の性質を有しつつ光散乱が小さな材料が実現できるかも知れません。また,小さな結晶とすることで,大きな結晶には見られない性質の発現の可能性もあります。そのような観点から,光・電子機能を有する有機化合物のナノ結晶化に興味が持たれています。ナノ結晶化の手法にはいくつかありますが,最も簡便な方法として再沈殿があります。例えば,水に不溶の化合物をアセトンに溶解し,その溶液を水に注入することで,アセトンは水に溶解することから化合物のみ水中に分散します。濃度や温度等を調整することで,形態・サイズが制御されたナノ結晶の作製が可能となります。
 さて,究極の高分子合成といえば,立体規則的構造を有し分子量分布が単分散であるポリマーを合成することですが,サイズ制御されたナノ結晶の中で固相重合を行うことでそれが可能となります。仮にモノマー単位の長さを0.5 nmとすると,100量体で50 nm1000量体で500 nmと,まさにナノ結晶のサイズが,現実的に合成されている高分子の重合度に対応する長さとなっています。そこで,様々なモノマーのナノ結晶の作製とその固相重合についての検討を行っています。また,従来の固相重合では,光や熱による励起で結晶の内部・外部を問わず重合が進行していましたが,結晶外部からの活性化学種による固相重合にも取り組んでおり,ナノ結晶の表面の修飾やそれを手がかりとしたナノ結晶の基板上への配列を目指しています。

3.4 その他
 有機結晶とは直接関わりはありませんが,以下のようなテーマも取り扱っています。

材料の環境情報指標の開発
 近年環境に対する関心が非常に高まっていますが,一般に環境に優しい材料にはコストがかかり,実際の製品化の際のコストダウンの要請との兼ね合いで,必ずしも積極的に用いられているとは言えません。しかしながら,経済活動を維持しつつ持続的社会を実現するためには,環境に対する対応を取っていかなければならないことも事実です。そこで,コスト以外のファクターとして,材料利用の可否を決める参考となるような環境に関する指標を開発することを目的として,国内外の機関と共同で調査・情報収集を行っています。